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まだ20代の母が長男である私を生んだばかりの頃の情景だった。   

昨日の市議会は、2つの常任委員会が開かれ、私は、池川議員、佐々木議員とともに、健康福祉常任委員会に出た。昨年12月議会に提出し、継続審査になっていたわが党提出の議員提出議案「高齢者の医療費助成に関する条例」の審査のためである。
後期高齢者医療制度の下で、高齢者に対する差別的医療は続いている。
町田市がせめて低所得者(非課税世帯)の医療費を補填し、高齢者が安心して医療にかかることができるように提案したのだが、共産党以外の反対多数で否決となった。
東京都の後期高齢者医療広域連合は、来年度から保険料の値上げを検討している。同時に、民主党政権は、「社会保障と税の一体改革」と称して、財源に消費税増税を導入しようとしており、高齢者の負担はますます増えるばかりである。
議案は否決されたが、引きつづき頑張っていきたいと思う。
今朝はゆっくりと起きて、駅頭宣伝に行くことにした。
長男はもう出かける準備をしていた。
駅に着き宣伝を始めた。
朝から暑い。
私がハンカチを取り出して汗を拭いていると、駅に向かう人たちも同じだった。
今日も最高気温は32度になっていたが、朝の段階でかなり暑かったような気がする。
さて、昨日、中央図書館に行ったとき、写真コーナーの中の木村さんというベテランの写真家の本に目がとまった。
戦後間もない頃、とくに、私が生まれた昭和29年前後の、それこそ秋田県内の農家の写真だった。
私は、閲覧コーナーに移動し、椅子に座って小一時間ほど写真の世界に没頭した。
農作業をしている農家の人たち。囲炉裏を切った民家。まだ、わら草履やわら性の長靴を履いている。
天秤棒で水を入れた桶をかついでいる若いお母さん。そうだ、私ですら、子どもの頃は部落に1ヶ所あった井戸から水が入った桶をかついだことがあったのだ。
秋田県でも写真にでていた地域は南秋田の方で、大曲や横手などの豪雪地帯。中には、わが阿仁町の山を越えた隣町の西木村の写真もあった。
まだ20代の母が長男である私を生んだばかりの頃の情景である。
その母も80代半ばを過ぎた。

by ken-tono | 2011-09-10 11:07

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