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元気な祭り囃子の音が届いているだろうか。   

日曜日、もちろん週に一度のゆっくりとした朝を過ごした。とはいっても、一昨日、知人のOさんが78歳で亡くなったので、昨日はお通夜、そして今日は告別式と参加をした。
そういえば、以前、2つ違いのOさんの弟さんからこんな話を聞いたことがあった。戦後間もなくして一家の大黒柱、Oさんのお父さんが亡くなったそうだ。生活費を稼ぐために、15~17歳くらいだった兄弟は、学校に行きながら横浜の港湾の倉庫で荷積みの仕事をしたそうだ。体が小さかった弟はとくに仕事がきつかったと話していた。そんなことを聞いていたせいか、Oさんが、人並み以上に働いて自分の会社を作り、今は、娘さん夫婦にバトンタッチしたということも、なるほどと頷けた。子どもの時に父親が亡くなり、歯を食いしばってがんばってきたんだなあ、本当にお疲れさまでした、とOサンの遺影を見ながら思い浮かべたりした。で、一方では、周りの人に優しく、私もときどき「コーヒーでも飲みに行こうよ」と誘っていただいた。棺には、若い頃着ていたという背広とネクタイが添えてあった。Oさん、安らかにお眠り下さいと念じた。
さて、歯を食いしばってがんばってきた人たちの中に、旧山古志村の人たちがいる。今年の春、私は、市議会の企画総務常任委員会の視察で、山古志村を訪ね、みなさんにもこのブログでリアルな情報をお知らせしていた。当時、1年が経過していたが、まだまだ惨状が残されたままだった。その中の一つ、山古志村伝統行事の闘牛「牛の角突き」が、9月17日再開され、池谷闘牛場には3,500人の見物人が集まったそうだ。震災当時、ヘリコプターで救助されていた横綱「孫兵エ」も出場したそうだ。また、この闘牛場で結婚式を上げたカップルの姿をテレビで見たが、ほほえましさと共に、山古志村を再生させるために村民のみなさんが「歯を食いしばって」がんばっている様子がうかがえた。本当に、がんばってほしい!
さてさて。Oさんのお葬式から戻ってきたら、町では賑やかな祭り囃子が聞こえてきた。0さんが生まれ育った原町田。昨日と今日は、天満宮のお祭りだ。
「ピィヒャラ、ピィヒャラ」「わっしょい、わっしょい!!」・・・・・
さわやかな秋空の上のOさんまで、元気な祭り囃子の音が届いているだろうか。
んん。

by ken-tono | 2006-09-24 17:09

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