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わが「母べえ」は、この2月、82歳の誕生日を迎えた。   

ん~ん、どうしようかなぁ?と思っている間に寝入ってしまい、外はすっかり明るくなっていた。こりゃいけない、と起き上がり、駅に行くことにした。
最低気温が3度。前の日よりも1度でも上がると、暖かい気がするから不思議なものだ。
そうはいっても、マイ宣伝カーの窓ガラスは薄く凍っていた。プラスティックの板で削ると、まるで、透明な鰹節のようだった。
M銀行前に着くと、通勤する人たちの姿はほとんど見えない。私学の高校受験、大学受験に向かう学生さんちがバス停に並んでいた。
スタンバイして、原油価格の高騰と灯油代、道路特定財源の問題から話を初めて間もなくしたら、久しぶりに、オンリーワンのお兄さんが現れ、「ハイッ!」と温かい缶コーヒーを差し入れてくれた。私は、お礼をした後、マイクを置いてホットコーヒーをいただいた。
・・と、「おはようございます。こんなに早くからやってるんですか?」と話しかけてきたご婦人が。よく見ると、笑顔のその方は、Oさんの友人だった。「これから出かけるから、(Oさんに)よろしくね・・」と言って、市民ホールの方へ向かっていった。
このところあまりに寒い日が続いたので、今朝ぐらいの寒さでは、駅頭に立っていても手をこするほどではなかった。
そういえば、先日、A理容店に寄ったら、奥さんが、お客さんのもみあげを剃りながら、「この間、市役所のソバを車で通ったら見かけたので手を振ったんだけど全然気づいてくれなかったよ。なんか、信号待ってるとき手擦ってたよ」と、私を見かけたときの話をしていた。
これだけ毎日寒いと、無意識に手を擦ったりしてるんだなと思った。
さてさて、先週の土曜日の東京は「大雪」だった。
私は、夕方から、映画館に「母べえ」(山田洋次監督、主演・吉永小百合)を妻と観に行った日だった。映画館に着くと、フロアーは若い人たちでいっぱいだった。んん??「母べえ」に??と思ったら、そうではなくて、今人気の「デスノート」の新作の封切りの日だったということが分かった。とはいえ、「母べえ」も全国的にかなりの入場者らしい。妻の職場の同僚のご家族ともお会いした。
昭和15年の東京が舞台。日本がアジアの国々に対する侵略戦争を進め、太平洋戦争に突入していった頃、国内では、治安維持法によって日本共産党など国民が弾圧されていた時期だ。映画でも、野上滋というドイツ文学の学者である「父べえ」が治安維持法で検挙、投獄され、獄死する。そんな状況下にあった野上家の家族の、実に人間味ある「心豊かな」生活を描いている。次女の野上照代さんが原作者だが、ちょうど、私の母と同世代だということが分かった。
わが「母べえは、この2月、82歳の誕生日を迎えた。
「父べえは、なにも悪いことはしていない」。子どもたちにたいする「母べえ」の毅然としたこの一言が、逆に、家族に対する強い愛情となって伝わってきた。
「戦争は許してはいけない」というメッセージと共に、人間とその命の大切さを感じさせてくれた。涙なしでは見られないスバラシイ作品だった。
映画館を出ると、外は、真っ白の銀世界に変わっていた。

by ken-tono | 2008-02-11 09:41

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