<   2006年 04月 ( 29 )   > この月の画像一覧   

「なあ~~んダ!ハッハッハッハッ!」   

どーいうわけだか、今日は気温が上がってきた。Nさんと地域を回っていると、この冬着ていた背広では、とてもとても暑すぎて、ワイシャツ一枚になってしまった。ある高齢者の福祉施設を訪ねた。知人がやっていて、一度行かなきゃと思っていながら、ご無沙汰していた。残念ながら留守だったので、また来ますと伝言してもらうことにした。連休のせいか、街は車も少なく、人の数も少なそうダ。・・さて、と、次の場所へ向かった。逆の方角へ30分ほど走り、別の知人を訪ねた。・・・が、またまた留守ダ。奥さんが出てきて、「主人は、孫を連れて散歩に行った」と。ん~~ん。残念!近所の公園に行ってみたが見当たらず、私とNさんも、結構散歩するハメになってしまった。予期せぬこの暑さと行動で、しかも、私は冬物のスーツときたので、スッカリ汗ばんでしまったのダ。Nさんに「飲み物いく!?」と聞いてみたら、「んん!」と。私は、冷たいお茶にし、Nさんは、ヤハリ冷たいヨーグルト飲料にした。ん~~んっ!あ~~っ、ウマイ!と私がまず声を出した。・・・・・・・・。んん??Nサンの声はない。飲んでいるのにナア。・・と、しばらくしてNさん、「なあ~~んダ!ハッハッハッハッ!」と。牛乳だと思って買ったのに、飲んでみたら酸っぱかったので、腐ってんのカナと思ったらしい。でもまあイイヤと飲み続けたところが、Nさんエライ!私とNさん、二人で顔を見合わせて、「なあ~~んダ!ハッハッハッハッ!」と。さて、その後、M食堂で、今日のランチを食べた。デミグラスソース味のハンバーグが絶妙にうまかった。煮筍もこれまたグ~な味。30分ほどで昼食を済ませ、Nさんと再び地域へ。ある団地のWさんを訪ねた。奥さんがいて、5月5日には、市内にいるお孫さんへ赤飯を炊いてもっていくという話を聞き、「イイデスネ!」と私。午前中、鎌倉に行ってきたんですヨ!と土産話も伺った。でもヤハリ、話の焦点は、今の政治。持病の心臓病の再検査に高額な医療費がかかることや、少ない年金ではとっても生活が大変ダ。安心して暮らせる政治に変えてほしいと要望された。高齢者の医療費自己負担増と混合診療制度導入などを内容とする「医療制度改悪法案」は絶対に通すわけには行かない!
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by ken-tono | 2006-04-30 23:21

「休みじゃないの~っ?!がんばってぇ!」   

ゴールデンウイークが始まった。朝の駅頭は、仕事に向かう人、旅行バッグを抱えた人、そして、クラブやスポーツの大会に出かける中・高生ダ。7時半ごろ、「休みじゃないの~っ?!がんばってぇ!」・・と、オンリーワンのお兄さんが声援を送ってくれた。マジシャンのように、ホイッ!とポケットからおなじみの缶コーヒーを取り出し、差し入れてくれた。「ありがとうございます!」。
午前中、Uさん、Oさんと3人で、地域を回った。1人暮らしのオバアサンの相談にのり、週明け一緒に市役所に行くことになった。もう1人のご婦人は、終戦を満州で迎えたそうダ。戦争は二度とゴメンだけれど、今の自民党政治もヒドイ。頑張ってほしい、と激励された。さて、次は・・・と家を探していたら、偶然にも「訃報」という一枚のお知らせに目がいった。なんと驚いたことに、私の知人の「Kさん」だったのダ。ん~~ん、生前お世話になった方だけに、残念でならなかった。
午後、「田村智子さんを囲む会」を開いた。会場一杯の方の参加で、大いに盛り上がった。田村智子さんの話を聞いて、緒方靖夫さんからしっかりバトンタッチできる候補者ダというのが、参加者全員の実感だったのでは。参院選での勝利へ頑張らないと!
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by ken-tono | 2006-04-29 23:01

新庁舎の「白紙撤回はナイ!」。んん??   

「おっつ、ご苦労さんっ!」。6時半のおじさんがまず声を掛けてくれた。今朝は、チョット肌寒い感じがする。と、そこへ、能代のおじさんが、「今日は何かナ!」と。5月17日、日比谷公会堂で行われる日本共産党演説会のビラを「あっ、どうも!」と渡した。「おはようございます」と、ご挨拶を繰り返しているうち、ススッ~ッっと現れたのが、両国に勤務しているお嬢さんダ。「ブログ拝見しました。毎日お疲れさまデス!」。・・と、やはりビラを渡して、「いってらっしゃいっ!」と声を掛ける。デッキの上でも高校生も少しずつ向こうのほうから挨拶してくれるようになってきた。知人のKさん、そして、Sさんも通って、声を掛けてくれたのだが、なんといってたのか聞き取れなかった。「ご苦労さん!」と言ってくれたのでは。とある小学校の校長先生にも挨拶していただき、と、とある小学校の副校長先生にもご挨拶いただいた。「オハヨウゴザイマス!」と、大きな声で、小学校の子供たちのように返事をした。日本橋に通っているお嬢さんも、ヤハリ、元気な笑顔で挨拶してくれた。みんな元気に頑張っている。マイクで、「連休で体調を崩さないようにお過ごしください!」と呼びかけ、米軍再編問題、教育基本法改悪問題、そして、長岡市・旧山古志村の状況をお話した。「朝は、肌寒いけれど・・」、やはり、「日中は、かなり暖かくなり、少し汗ばんだ」。
夕方、石阪市長に、当地区委員会と党市議団で、「市民の緊急要求」の申し入れをした。最大の公約、「税金は、新庁舎でなく市民生活に」というメインスローガンの下、27項目の要望書を提出した。石阪市長が真っ先に語ったことは、「合理的な市政をすすめる」と、「新庁舎の考えは(あなた方とは)違う!」と。つまり、新庁舎の「白紙撤回はナイ!」ということだった。ん~~ん。予測はついてたものの、石阪市長は、市民の生活のヒダに触れることはできない人なのかナア、という感想ダ。市民の皆さんの要求は、厳然としてあるのダ。財政が厳しいのならば、市民負担増のやり方ではなくて、新庁舎建設を思い切ってやめて、市民の願いに答えることダ。市長に真正面から訴えたが、「それはデキナイ!」と簡単に断られた。私たちが団結すべきは、市民。切実な要求を携えている市民ダ。
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by ken-tono | 2006-04-28 23:31

フェアプレイ   

小雨の中の宣伝となった。しかも、コートなしでは、チョット肌寒くて。ドーいうわけだか、今朝も男子高校生がヨク挨拶してくれる。私は、しんぶん「赤旗」日刊紙の一面をマイクで紹介しながら、被災地・山古志村を見てきた現状もお話した。一面のトップ記事は、「米軍再編 日本負担3兆円。米側責任者が明言。国民一人当たり2万5千円。こんなアメリカ言いなりの自民党政治は大本から変えなければなりません」と。・・・と、私の目の前を、30歳ぐらいの女性がス~ッっと通った。ん~ん。・・・なにかがヒラリと落ちるのが見えた。その刹那、野球部のバッグを抱えた男子高校生が、まるで内野フライをキャッチするかのように、セルリアンブルーのきれいなマフラーをとらえ、「落としましたヨ!」と実にさりげなくこの女性に渡したのダ。私は、マイクで、米軍再編問題を訴えながら、両目はシッカリとこの光景を見届けたのダ。男子高校生の、まさに、フェアプレイだった。それにしても、アメリカは、安保条約と日米地位協定などで在日米軍基地を当たり前のように提供させているだけでなく、米軍再編に関して3兆円ものお金を日本に要求している。安部官房長官が「算出根拠を聞く」などとノンキなことをいっていたが、これだけ日本国民が「米軍基地NO!」と叫び、「本国へ帰れ!」と言っているのに、アメリカ言いなり、アメリカべったりダ。アンフェアなアメリカとそれにしたがっている2大政党の流れではこの政治は変えられないと思う。確かな野党・日本共産党の出番ダ。・・・・・と、熱っぽく訴えていたさなかの、実にサワヤカでほほえましい朝の出来事だった。
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by ken-tono | 2006-04-27 23:17

「帰ろう山古志村へ!」   

昨日、朝、長岡市のホテルの部屋を出ようと思った8時18分、地震があった。きのうは、新潟中越地震が起きた一昨年の10月23日から、1年半が過ぎていたが、その地震の被害を受けた地域の視察に行っていた。8時半から視察は始まった。震災当時、防災課の課長を努めていた佐藤さんの案内とお話で、当時の様子や対応について、また今でも傷跡が残っている旧山古志村などを案内していただいた。まず、私たちが目にしたのは、新潟県を流れる信濃川の沿道の土砂崩れでお母さんと2人の子供さんが瓦礫の下敷きになり、レスキュー隊の救出でお子さん1人が助かったという現場を対岸から見た。ガケは今でも崩れ、道路も無残に折れ曲がり崩れたままだった。数百メートルも離れたところですら当時の惨状が目に浮かぶようだった。次に私たちは、旧山古志村に向かった。ん~~ん。村に入るにつれて、ダンダンその雰囲気が伝わってきた。国道291号線。私たちがまず目にしたのは、一枚の看板だった。「帰ろう山古志村へ」。んんっ!・・だよナ!この小さな村(今は、合併して長岡市)に、いまでも一日に、工事用車両が500台、住民と関係車両が500台、1000台も通るんだそうダ。私は、初めて被災地・旧山古志村に行ったが、とにかく今の姿に驚いた。私の郷里の秋田県旧阿仁町(現北秋田市)の山の中を思い浮かべながらマイクロバスの中から外の景色に目を凝らした。木がない。緑がないのダ!地震で、山肌がどこもかしこも崩れていた。「養鯉場」という、錦鯉の養殖場の看板が、鯉の赤と白と黒に、水の青がとってもシンプルに映えていて、美しく見えた。村のどこでもかしこでも、復旧工事が行われていた。完全に土砂に埋まった道路が、ようやく私たちでも案内の下で通行できるようになったのダ。村の名物、曲線がこれまた美しい「棚田」が山全体に見え始めた。「棚田」の上に村役場があった。見た目頑丈そうな村役場も地上から数十センチも浮き上がっていて、使えない状態。隣の施設で、役場の職員、消防署員、工事現場の関係者等が仕事をされていた。一見美しく見える棚田も土砂の下だったのダ。住民が生き埋めになったという場所も通った。ん~~ん。幸いなことに、何箇所かで、冬の間、小屋の生簀で面倒見ている「錦鯉」がスイスイと泳いでいる姿を見ることがでlきた。実際、旧山古志村には、まだまだ帰ることができないでいる住民が圧倒的多数ダ。長岡市内に数百世帯の避難住民が仮設住宅で生活をしていた。生活再建のための国の制度が少し改善されたとはいえ、スズメの涙。家を立替え、再びもとの場所で生活することが困難な住民はたくさんいるのダ。新潟県内では、いまだ、7500人の避難住民がいることを、決して忘れないでほしい。生活再建の制度がもっともっと改善されるように、お手伝いしてくださいと、職員の方から最後にお願いされた。地震の復旧はマダ終わっていない。小泉首相は、任期中の5年間にやるべきことはスベテやったとどうしていえるのだろうか。山古志村は、長岡市は、新潟中越地震の復旧は終わっていない。国に、引き続き意見を言わなければ。国民の命と暮らしを真剣に考え、支えてくれる政治に、今の政治を変えなければ。そして、今一度、この地震の教訓をシッカリと学んで、町田市に生かしていかなければ。今回の視察に参加して、私は、改めて、そう決意した。
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by ken-tono | 2006-04-26 23:31

新幹線の外は雪だった。   

今日から3日間の日程で、私が所属している市議会・企画総務常任委員会の視察である。今日は、さいたま市だった。大宮市、浦和市など4市が合併して、最近、政令指定都市になった市ダ。説明を聞いて一番感じたことは、人口は100万人を超えて、都市としてのスケールは大きくなったものの、逆に、地方自治体の個性が失われ、市民生活に密着した政治ができなくなるということダ。国が、福祉、教育など国民の最低限の暮らしを守るための責任をきちんと負えば、小さくてもイイ地方政治ができると思う。これからの町田市に教訓を生かしたいと思う。
さいたま市の視察を終えて、明日の新潟県長岡市の視察に備えて、宿泊先の長岡市に新幹線で向かった。列車が越後湯沢駅に到着して驚いたことは、イマダに雪が積もっていたことダ。マダ、50センチ以上はあるように見えた。隣のスキー場のある駅、浦佐駅も斜面にまで雪が残っていて、スキーができそうな感じすらあったが、スキー場は閉鎖しているとのことだった。明日は、あの新潟中越地震の被災地である、長岡市の旧山古志村を視察することになっている。日本共産党は、青年を中心に現地に支援のボランティア隊を派遣し、奮闘したが、その後、どんな状況になっていて、どんなことを求めておられるのか、できれば住民の皆さんの声を聞いてみたいと思う。住民の暮らし、命、安全をしっかり守るという地方自治体を目指して、シッカリと学んできたいと思う。
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by ken-tono | 2006-04-24 22:30

人間、「ルー大柴」氏に感動!   

サンデー。曇ってはいないが、幸いにも雨は降ってない。午前中、友人のSさんといっしょに応援してくださった方のところを尋ねた。「あ~っ、ご苦労様でした」と、とってもニコヤカに微笑んで、Yさんは、私たちのしんぶん「赤旗」を購読していただくことになった。「ありがとうございます」と話した。午後から、原町田地域で、宣伝をした。選挙中とは違って、ん~ん。何の宣伝だろう!っと、振り向く人が多かったが、でも、「がんばってっ~~!」っとの声援もあった。そんな時は、一呼吸置いて、声には出せないが「ありがとうございます・・」とつぶやいて宣伝を続けた。
夜、帰宅して、テレビを見ていたら、「田舎に泊まろう!」という番組が放映されていた。早く帰ったときは、良く見ていたが、何気なしに目を向けていたら、訪問者は、「ルー大柴」氏だった。んん??。「ルー・・」・・・。訪問先は、伊豆諸島の神津島。途中から見たのだが、お泊りはOK。番組をご覧になった皆さんはドー思ったか分かりませんが、なんか、「ルー大柴」氏の人間性に、スッカリ感動してしまったのダ。地元、神津島生まれのご主人と結婚したのは、青森県生まれの奥さんだった。食べ物はとってもおいしい!と奥さんは絶賛だった。「ルー大柴」氏は、「あなたがあったから、いまのあなたがある!」と、とっても奥の深い言葉を奥さんにささげた。ん~~ん。すごいナ。なんか、芸能人とはいえ苦労している「ルー大柴」氏の実に心の思った、それでいて、実にシンプルな言葉が、実にさりげなく出てきた。宿泊先のお宅の実家は、近くで民宿を営んでいた。本当なら、ソコへ泊まってくださいといえばよかったのかもしれない。でも、わが家のような2DKぐらいの狭い部屋に、「ルー大柴」氏はワザワザ泊まったのダ。ん~~ん、泣けたよナア。で、「ルー大柴」氏が、10代でヨーロッパに飛び出したときに、馬蹄のクギを曲げて作ったペンダントを「ん~~ん。久しぶりにできるかナア?」といいながら、実にステキなのを作って、宿舎の奥さんにプレゼントしたら、奥さんが言った言葉が、「おしゃれしなくっちゃ!」といったのダ。画面で、「ルー大柴」氏も涙をこぼしていたが、私も泣けてしまった。ナア!。
以前、「ルー大柴」氏ソックリの私の友人のことを、このブログで取り上げたことがあった。まっ、確かにソックリだった。でも、今日、改めて、「ルー大柴」氏の出演した番組を見て、長い間の苦労が彼の人間性にとってもにじみ出ていて、私は、ジィ~~~ンとしてしまった。役者としてというよりは、人間、「ルー大柴」氏に感動した。
ちなみに、今夜も、わが娘のリクエストにこたて「まぜご飯」をつくってあげた。材料は、米、ベーコン、うすアゲ、グリーンピース、白ゴマ、しょうゆ、塩、酒、みりん、水といったところ。結果的に、味付けがピッタリいったせいか、娘は、私がつくった「まぜご飯」を3杯もおかわりした。ウエレシイな!
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by ken-tono | 2006-04-23 22:19

プリマドンナ   

んん~ん??あっ!昨日、市民ホールの楽屋裏で見かけた「プリマドンナ」たちダ。今朝の駅頭にと町田駅に着くや否や、「プリマドンナ」たちの姿が目に飛びこんできたのダ。とにかく、足がスラリとしている。ん~~ん。ソーカ、今日は、中学生の大会かナ。昨日、私が、楽屋裏を通ったとき、「4月21日~23日、町田全国バレエ選手権」というスゴイ大会だったということが、分かったのダ。昨日は、シニアと高校生、で、今日は、中学生という感じだった。「がんばって~っ!」と心の中で、声援を送った。
高校生、男の子、女の子を問わず、私が挨拶を繰り返していると、「おはようございます!」とトキドキ返事をしてくれる。みずほ銀行前でやったこともあり、7時半ごろ、今日も、「ONLY・ONEのおにいさん」が、「オ~~ッ、久さしぶりイ!」と励ましてくれた。ウレシイナア!。
今日は、新聞赤旗の一面記事を紹介しながら、「今から丁度約一年前の兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故の日が近づいています。・・・・・。107人の方が亡くなられました。二度と悲劇を繰り返さないために、私もがんばっていきます」とマイクで話した。皆さん、刹那に、記憶が蘇ったのではないだろうか。
家に帰って、メールボックスを見たら、先日相談に乗った方からのものだった。「本当にありがとうございます」という内容だった。少しでもお手伝いすることができて、良かったナアと思った。
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by ken-tono | 2006-04-22 23:44

「場所が決まったナア」。   

「場所が決まったナア」。6時半に決まってやってくるオジサンが、ポツリとそう言った。何ヵ月間と毎日のように私と駅で会っていたこのオジサンが、どんな気持ちで今日は言ってくれたのだろうか。「ソーです!」と答えた。中には、まるで相撲取りが賞金をもらうときのように、イヤそれ以上のパフォーマンスで、「いただきます!」とビラを受け取ってくれた若い男性がいた。「アリガトウゴザイマス」と返事した。7時に、佐々木議員が来たので、いつものように15分ずつ交代でマイクを握った。「今朝のしんぶん赤旗でお知らせしていますが、昨日の参院の委員会の質問で日本共産党の大門議員と二瓶議員が、サラ金の金利引き下げを政府に約束させました」。私も、同僚の議員も、この間どれだけあくどいサラ金、ヤミ金業者の被害と闘ってきただろうか。被害者と一緒に、町田警察に何度も行き、その場から対処したが、手が込んでいて、通じなくなってきていた。ひどい場合には、「隣の者が金を借りて返さないから、お前が返せ!」なんて、あまりにもひどすぎるものまであった。「格差社会」をなくしていき、市民の皆さんの暮らしを守るために引き続き頑張っていかなければならない。
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by ken-tono | 2006-04-21 23:01

「雨の中大変だナア!」。   

「雨の中大変だナア!」。んん??と、横を向くと、なんと、キックボードのおじさんじゃないか。今朝は、おじさんのサワヤカな顔を見ることができた。「アッ、ド~モッ!おはようございます」と、すかさず返事をした。顔見知りになった高校生が通る。まだ6時なのに、早いナ~、どこまで通ってるんだろうか。今度聞いてみなきゃ。・・・・・・・「お~っ!久しぶりだナア!」と、よく挨拶を交わす旦那さんに声をかけられ、「ハイ!」。雨が断続的に降ったものだから、傘は一応用意してたが、北口の入り口の中に出たり入ったりしながら、通勤、通学に向かうみなさんにご挨拶し、私のニュースを渡した。きのう、苦労して作ったから、もらってほしかったのダ。ソウたくさんは取っていただけなかったが、時々受け取ってもらうとうれしいものダ。ヤハリ今日も、6時からのビル掃除のアルバイトに出かけた奥さんが、ハンドマイクの宣伝が終わる8時頃、「今、仕事終わったヨ!」と元気に駅に戻ってきた。「ご苦労サンでした!」と、私も元気良く声を掛けた。もう少し仕事をしないと、2時間だけでは生活が苦しいんダ、と話していた。力になってあげたい。
今日は、午前中、控え室で会議をし、午後から都内に出かけて会合に出た。朝が早かったので、夕方チョット眠くなったかナ。夜、家に戻ったら、先日、生活相談にのったAさんから「ありがとうございました。」と留守電が入っていた。社会的格差がますます広がり、相談が増えている。困っている市民のために、また、頑張らなきゃ!
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by ken-tono | 2006-04-20 23:10