<   2008年 08月 ( 17 )   > この月の画像一覧   

「大丈夫だった?」   

昨夜も落雷と雨が降り、心配したが、あまり大きな被害はでなかったようでホッとした。
今日は、朝の宣伝は遅い時間にしようと思い、少し長めに寝た。長女を送っていく時間に合わせてシャワーを浴びていたら、電話がかかってきた。秋田の母からだった。
「大丈夫だった?テレビで町田市が出ていたから心配で」と、私の母だけでなく、Yちゃんのお母さんも娘さんの所に電話をしたが出ないから心配してたというのである。わが母が、Yちゃんのお母さんに「何時に電話したの?」と聞いたら、「朝9時過ぎ・・・」と言うので、「もう、仕事に行ってるんだよ」「そうか・・・」と言う話になったそうだ。秋田の人たちは、高校を卒業したら、9割以上は東京などに行き、離ればなれになるせいか、親は年を取っても未だに子どものことを心配する。
母に、「大丈夫だよ」と伝え、「安心した」ようだ。
それにしても、ものすごい雷と雨だった。みなさんのところは大丈夫だったでしょうか。
長女を送りながら、土砂で土色になった道路を走りながら、町田市の被害にあった方達も大変だが、愛知県の住民の方達はもっと被害の規模が大きく、本当に大変だなと思った。
以前、私は、自治体学校の現地視察で、2000年9月の東海豪雨の被災地だった愛知県の西枇杷島町の新川の堤防決壊による被害の内容と対策を学んできたことがあったが、そのときのことを思いだした。東海豪雨のときは、死者10名、浸水家屋7万戸だったそうだから、今回は、それに次ぐ大変な被害だ。被災者のみなさんにお見舞い申し上げます。
ということで、今日は、朝というには、かなり遅い時間帯での駅頭宣伝になった。早いお店は、ノボリ旗を店先に出している。私が用意した「日本共産党」のノボリがその中に埋没してしまい、見えないほどだったが、まぁ、元気に訴えればみなさん聞いてくれるだろうと、Mデパート前で宣伝を始めた。
集中豪雨の話をした後、臨時国会のことに話題を移し、緊急総合対策や「定額減税」とやらについて、「自民公明与党は、自分たちが進めた住民税増税のことや社会保障費の削減、国民負担増については、人ごとのような顔をしながら、国民生活がピンチだから対策が必要だとは、ヒドイ話です。国民に痛みを押しつけてきた政治を進めた自らの責任をまず明確にすべきです。そして、大企業中心の予算の建て方を改めて、国民の暮らしを真ん中に据えた予算に転換すべきです」と訴えた。また、今朝のしんぶん赤旗で紹介している、米軍基地の沖縄からグアムへの移設に約7000億円もの日本国民の税金が使われるとは、とんでもなく、止めるべきだ」と訴えた。
デッキの上からジ~っとのぞき込んで聞いている老夫婦の姿が見えた。清掃関係の大型回収車の運転手さんが、会釈をして激励してくれた。
市の職員の方も、プライベートで出かける方もいて、挨拶をしてくれた。
雨がポツポツとこぼれてきた頃、ちょうどいい時間になったので、宣伝を終えた。
ノボリを片付けていると、他市から来たと思われる60歳ぐらいの男性が、車から降りるなりある場所を訪ねてきた。「すみません。デズニーはどこでしょうか?」「・・・・・・。はい?」「この辺に、デズニーのお店がありませんか?」「デニーズなら、109ビルの中にありますけど」「あっ、デニーズでした」「それならすぐソコですよ」と教えてあげた。
あと2日で8月も終わる。
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by ken-tono | 2008-08-30 11:53

『馬頭観世音』   

今まで聞いたことがないような雷と豪雨。3時頃、家族だけでなく私もビックリして飛び起きた。
後で聞いたら、忠生市民センターの降雨計が110㍉を記録したとのことで、境川などは完全にオーバーフロー状態で、町田街道をはじめ各幹線が溢水し、図師や小野路などはで土砂崩れがあるなど、今朝方の短時間の集中豪雨は、大変な被害をもたらせた。
少なくとも、朝のテレビのニュースで、町田市の名前が出てきたことにビックリし、宣伝が終わったら直ちに被害があった現地に行かなければと思いながら駅に向かった。
駅に着き、スタンバイし終わると、A病院に通うおじいさんがやってきて、いつものようにあめ玉をホイッと差し出してくれた。「ありがとうございます」というと、「雨降るから行くよ」と、先に向かっていった。
サングラスのお兄さんが渋い顔をしながら歩いてきた。「疲れた・・・」「そうですよね。がんばってください」と私が返したときには、3,4歩前に進んでいたが、「うん、ありがとう」とお兄さんの背中は言っていた。
6時半のおじさんとトコトコちゃん達と同じバスのおじいさんが続けてやってきた。2人に同時に目配せをして挨拶したが、一歩先に着いた6時半のおじさんの方が話し始めた。「この間、狛江の○○さんという家に仕事に行ったら、とのむらさんのこと知っててビックリしたよ」。私は、その方を知らなかったが、「そうですか、ありがとうございます」と返事をした。
両国勤務のお嬢さんが今日は珍しくやってきた。「あっ、久しぶりですね」「そうですね」「気をつけてね」はい」と、笑顔で出かけていった。
渋谷勤務の元気満々のお兄さん、いつも何か言いたげなヒゲのお兄さんも、次々と通った。
7時のお嬢さんも元気そうだった。
霞ヶ関勤務のお嬢さんのお母さんの姿が歩いてくる人たちの間に見えたので、挨拶を交わした。
今日も30分ほどして、お嬢さんが見えた。赤が入った暖色の洋装だった。「ん、秋が近いな」という感じがした。笑顔で元気そうだった。
早朝の雨の話をした後、一昨日のアフガニスタンで殺害された伊藤和也さんの話をした。彼が活動していた村に遺体が引き取られ、500人もの村人が見守る中で葬儀が行われた。本当に村人達に信頼が厚かったんだなと思った。
お父さんは、現地には行かず、静岡の自宅で息子さんの帰りを待っているとのことだった(昨日は、現地に行ったと勘違いし、失礼しました)。
記者のインタビューに答えたお父さんは、「和也は、家族の誇りです。精一杯胸を張ります」と話された。
アフガン戦争を止めて、政治的、外交努力で平和解決を図ること。また、農業支援など、貧困や飢餓を無くすための取り組みを行うこと。これは、きっと、伊藤和也さんの遺志であったに違いないと思う。
ぜひ、その実現へ私もがんばりたい。
宣伝を終えた私は、今日一日、わが党市議団の仲間や古橋よしやすさんらとともに、昨日の集中豪雨の被害にあった地域を視察し、お話を聞き、町田市に対する要請などをした。
小野路の土砂崩れがあったある場所を訪ねたら、『馬頭観世音』という石碑が、かろうじて崩れた土手の上に残されていた。
偶然とはいえ、あの豪雨の中で流されず無事だった姿を見て、なにか、ホッとする気持ちがした。
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by ken-tono | 2008-08-29 20:22

涙が、乾いたアフガンの土地を湿らせることだろう。   

蒸し暑く寝苦しい夜だったせいか、今朝も目覚めがスッキリとしない。シャワーを浴びて気持ちよく外に出た。
どんよりとした空。霧雨が降っていたので、傘を差して駐車場に向かった。
この夏、満開だったヒマワリもオレンジの花びらが散り、種を蓄えた部分が自らの重さに絶えかねて土の上に落ちていた。
ラジオでは、アフガニスタンで昨日、遺体で見つかった伊藤和也さん(31)の話が持ちきりだった。
農業振興のために学んだ事を活かし、生涯の仕事としてがんばっていた青年を、武装集団はなぜ銃で撃たなければならなかったのか。許せない!そう思いながら駅へハンドルを握った。
スタンバイし、捨てたばこを片付け、駅に向かってくる人たちに声をかけた。
「おはようございます」とご婦人が私に声をかけてくれた。「ちょっと、眠そうですね」。「はいっ?!」。これはいけない、と思い、私は、気持ちを引き締め、目を見開いて挨拶することにした。
本町田のMさん、森野のTさんが、「よっ!」「おはよう!」と、歯切れのいい挨拶をしてくれた。
メタボな外国人が、笑顔で「おはようございます」と声をかけてくれた。
町田高校に通う女の子が、お母さんが押してくれる車いすで坂を登ってきた。雨が止んでいたからいいものの、降っているときは、傘を差しながら車いすを押すことは無理だと思った。タクシーになってしまうのだろうか。
今朝は、伊藤和也さんの事件の話を中心にした。しんぶん赤旗でも紹介しているが、アフガニスタンという国は、旧ソ連の侵攻以来、30年にもわたって戦争が続いてきた。そのため、国土が荒廃し、干ばつや飢餓、貧困が国全体に広がってきた。テレビで、専門家の方も同じ事を言っていた。そんなアフガニスタンの人々を救うために、サツマイモを育てたり、お茶を栽培したり、村人と協力しながら農業支援の活動を行ってきた伊藤さんの姿は、本当にすばらしいことだと思う。
私は、「彼の遺志を受け継ぐためにも、戦争を止めさせなければなりません」と訴えた。「戦争によってテロはなくならないことはハッキリしてきました。アメリカ軍も自衛隊も、アフガニスタンから、インド洋から、直ちに撤退し、話し合いによる解決の方向に転換すべきだと思います」と。
それにしても、もう一つの大きな記事を見てまた怒りがわいてきた。大田農水大臣の事務所費疑惑である。伊藤さんのように、困っている国の農業振興のため命がけで取り組んできた青年がいる一方、アメリカに従属した農業政策を続け、アメリカの報復戦争を燃料補給で支援する。そして、自身は、いまだに事務所費問題の疑惑を生み出している。ほんとうに、大臣の資格が問われる、と思った。
雨が止んだ。
アフガニスタンでは、伊藤和也さんと親交が深かったたくさんの村人たちの、NGO団体の人たちの、そして、お父さんの涙が、乾いたアフガンの土地を湿らせることだろう。
安らかにお眠り下さい。
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by ken-tono | 2008-08-28 11:05

「袋、2つにしましょうか?」   

久しぶりに青空が見える朝となった。
スッキリと目が覚めてというわけにはいかず、何とか起きて、駅に行くことにした。
妻は、日曜出勤の代休らしく、「さて、洗濯でもしようかな・・・」と今日一日はのんびりできそうだ。
長女は大好きな部活で、長男は、友達と一緒に高校の模擬授業とやらにいくらしく、妻に「明日、早く起こしてね!」と、昨夜の内に念を押していた。
Mデパート前に車を着けて、晴れた爽やかな空気を吸いながら気持ちよく宣伝を始めた。
「みなさん、太田農水大臣に事務所疑惑が発覚しました。赤城元農水大臣の時にも大問題になり辞任に追い込まれましたが、太田大臣の疑惑が本当だとしたら、福田首相の任命責任が問われる極めて重大な問題です。まず、真相を自ら明らかにすべきです」と、日本共産党として、徹底究明にとりくむと訴えた。
真相を未だに明らかにしない政治家がこの町田市にもいる。石坂市長だ。事務所費疑惑にしても、政治資金パーティー事件にしても、真実を隠し通すことはできないと思う。必ず明らかにならざるを得ない、そう思いながら、道行くみなさんに訴えた。
見知らぬ若いサラリーマンの男性が挨拶をしてくれたので、すぐに「おはようございます」と返事をした。
日大三高の男の子が照れくさそうに、「おはようございます」と挨拶をしてくれた。
「がんばってください」と言って駅に急いでいた奥さんがいた。
ほど良い朝の気候だったせいか、あっという間に宣伝時間を終えることになった。
さて、この夏休み、長女を高校へ送っていくことがあるが、途中、コンビニに寄って、長女は昼食、私は朝食用のおにぎりやジュースを買うことがある。ある日、品物を1つの籠に入れてレジに出したとき、私は、「すみませんが、2つの袋に分けてもらえますか?」と店員の若い女性にお願いした。店員の女性は、「ハイ分かりました、どう分けますか?」と快く応じてくれた。
1週間ぐらいして、同じ店に寄ったとき、買った品物をレジに出したら、同じ店員の女性が、「袋、2つにしましょうか?」と向こうから聞いてきたのだ。
私たち親子のことを覚えていてくれたのだ。
アルバイトの若い女性のちょっとした気配りに、私も長女も「今日も言ってくれたね」と嬉しい気持ちになった。
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by ken-tono | 2008-08-27 11:42

「本当に、ありがとうございました」   

涼しい日が続いている。
そのわりに、夏の疲れか、今朝も目覚めが悪かった。
小雨が降っていたので、部活の長女を送っていく約束をして、駅に向かった。
Mデパート前にした。幸い、良い場所が空いていたので待つことなく宣伝を始めることができた。
臨時国会に向けて焦点となる新テロ特措法について、法律の延長を許さないたたかいを進めていきたい。後期高齢者医療制度の廃止法案の可決へがんばっていきたい。派遣労働法の抜本的改善にもがんばっていきたいなどと訴えた。
通所施設に通う若いお嬢さんが「おはようございます」と声をかけてくれた。
宣伝を終えて、後片付けをしていると、横断歩道を2人の男性が歩いてきた。
「本当に、ありがとうございました」。松葉杖をついて歩いていた男性が大きな声でそう言った。
若いサラリーマンの男性が、足が不自由な男性に傘を差してあげていたのだ。
長年、駅で宣伝を続けているが、なかなか見ることのない光景だった。
小雨がパラパラと降ってきた。
湿り始めた町田駅に、何か爽やかな風が吹き抜けていった感じがした。
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by ken-tono | 2008-08-26 09:51

ワンジル選手が、ボルト選手が・・・   

北京オリンピックが閉幕した。色んなことを考えさせられた。フェンシングの太田選手などのように、メダルを獲得した人たちの中には、選手としての日常生活がほとんど補償されてない人たちがいる。一方、高い年俸でペナントレースを戦っているプロ野球選手もいる。ラジオであるコメンテーターが言っていたが、選手の活動をもっと国が補償しなければならない、と私も思った。
もう一つ。昨日の男子マラソンで優勝したケニアのサムエル・ワンジル選手が、自分を育ててくれた2人の日本人の恩師に感謝したいと語ったことだった。また、陸上男子で三冠を達成したジャマイカのウサイン・ボルト選手が、四川大地震の被災者を見舞い、義援金を送ったという話だった。
世界から204カ国、1万1千人が参加した北京オリンピック。「平和と友好のために」、すばらしい大会だったと思う。
さて、気候の変化のせいか、今朝はとっても眠かったが、がんばって起きて、駅に向かった。
けっこう雨が降っていたため、今朝は、屋根のある場所にした。遅れた分、6時半のおじさんやサングラスのお兄さんなどは、出勤した後だった。
トコトコちゃん達と一緒のバスのおじいさん、A病院に通うおじいさんが、「ああ、どうも」「おっす!」などと言いながら通っていった。
渋谷勤務のお兄さんが、突然目の前に現れた。即座に、チラシを渡し、「気をつけて・・・」と見送った。
長男の剣道部先輩・Tくんも、予期しないところへ現れ、彼の方から挨拶をしてくれた。
パキスタン人のAさんも珍しくやってきた。何か言いたげだったが、「おはよう!」と声をかけた。
霞ヶ関勤務のお嬢さんのお母さんは、今日はお休みの日らしく、お嬢さんだけが元気そうに通っていった。
8月も終わりに近づき、オリンピックも終わって、通るみなさん、どこかしら疲れた様子。
古橋衆院予定候補と共にマイクを握りながら、「間もなく9月です。国民生活向上へ、力を合わせてがんばっていきましょう」と訴えた。
しとしとしとしと降り続けている雨は、まだ止まなかった。
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by ken-tono | 2008-08-25 09:26

先輩達の大変な努力があったからこそ・・・   

ん~~~ん、残念!星野JAPANの対韓国戦にガックリ。
ところが、今朝になって、昨夜の男子400㍍リレー決勝の銅メダルの写真を見て、おっ、ヤッタ~~~!!と。
試合後、テレビに映った第二走者の末続選手が語った言葉に、私は、感心した。これまでの先輩達の大変な努力があったからこそメダルを取れたのだ、という内容だったと思う。あのような場面で、こういう言葉を忘れない。偉いなと思った。
野球は、今日、3位決定戦が行われる。力を合わせてがんばってほしい。
今朝、M銀行前で宣伝したとき、私は、まず、そんな話からした。
「がんばれば、夢は必ずかなう」。こんな言葉もよく出てきた。
私は、「私たちが今生きているこの社会においても同じ事が言えるのではないでしょうか」と訴えた。「派遣労働法を是正しなければならない。後期高齢者医療は廃止になど、国民のみなさんの運動と日本共産党の論戦が、政治を動かし始めています」と。
挨拶をしてくれる方が何人かいた。
そして、「がんばってください」と握手をしてくれたご主人がいた。
「日本共産党は、86年の歴史を歩んできました」。
そうマイクで訴えながら、社会変革のために苦難の時代を歩んできた先達のことを思った。
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by ken-tono | 2008-08-23 09:47

「まだまだいける」とは凄いなと思った。   

昨日は、北京オリンピック、女子ソフトボール決勝日本VSアメリカ戦に釘付けになってしまった。見ていて、日本チームに勢いがあって、勝つときはあんな感じだな、と思った。それにしても、上野選手、3連投で「まだまだいける」とは凄いなと思った。
早目に寝て、朝、早目に起きた。
支度をして外に出てみると、けっこう肌寒い。半袖でも何とかなる感じだったので、20度ぐらいだったのではないだろうか。
事務所に寄った後、駅に向かった。
スタンバイしてすぐに、6時半のおじさんがやってきた。黒のメッシュの帽子は初めて見た。「おう・・・」と言いながら、ビラを受けとってくれた。
トコトコちゃん達と一緒のバスのおじいさんが、「久しぶりですね」と。このところ何かといなかったので、1週間ぶりでも「久しぶり」に感じるのかも知れない。
A病院に通うおじいさんが、ツツっと寄ってきた。私にあめ玉を2個差し出すと、「いないか?」と下まで送ってきてくれた奥さんのことが気がかりだったようだ。
渋谷のお兄さんは、突然、目の前に現れた。
霞ヶ関勤務のお嬢さんのお母さん、今日は、レモンイエローの洋装だったが、ご挨拶をしていただいた。
今日も黒の7時のお嬢さんとも挨拶を。
しばらくして、シックなブルーの霞ヶ関勤務のお嬢さんがやってきた。「おはようございます」。夏の疲れも感じさせず、元気だった。
駅頭に立っていても、けっこう肌寒く、何か秋の気配を感じさせるほどだった。
北京オリンピックの話をし、9月議会に市民病院関連の条例が出される予定であることも話した。市内唯一の公立病院の役割が損なわれないように、がんばっていきます、と訴えた。
ん、今日は朝から雲行きが怪しくなってきたな。
そう思いながら、宣伝を終え、長女を高校へ送るため家に戻った。
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by ken-tono | 2008-08-22 09:54

キング・デラウェア   

今週の月曜日から、またまた泊まりがけでの勉強会があり、3日間、山梨まで出かけていたため、朝の宣伝とブログをお休みにした。今日から通常の生活スタイルに戻るので、よろしくお願いします。
というわけで、数日ぶりの朝の宣伝となった。
昨日は、山梨からの帰り、バイクで帰ってきたが、エンジンの暑さも相まって30度を超える気温で汗びっしょりだった。
それに比べて、今朝は、涼しいと思うぐらいだ。
眠い目を擦りながらシャワーを浴びて、モードを切り替え駅に向かった。
駅に着き、たばこを片付けた後、「おはようございます」と、できるだけ大きな声を出すようにした。
元柔道部員の男性が元気よく声をかけてくれた。
ポニーテールのご主人も丁寧な挨拶をしてくれた。
本町田のMさんは、「よっ、がんばってるね!」と、いつものように右手を額の上にあげるポーズだった。
T高校生君のお兄さんが、お母さんが運転する車から降りて声をかけてくれた。
木曽町のFさんの息子さんがお父さんの車から降りて挨拶をしてくれた。
バイオリニストのご主人の今日はお嬢さんだけが、お母さんの車から降りてきた。
メタボな外国人の男性も、彼女と一緒にやってきて、彼の方から「おはようございます」と声をかけてくれた。私は、みなさんに久しぶりにご挨拶をした。
駅の構内から、テニスラケットを持った女子高生が次々と出てきて、第一踏切の方へ歩いていった。どうやらテニスの試合があるらしい。ある集団の高校生が行き方が分からなくて立ち往生していた。「分かりますか?」と私が声をかけたら、「分かりません」と。どこまで行くのか聞いてみるとK学園までバスで行くとのことだった。「○○番のバス停はどこでしょうか?」。
ん、困ったな、と思っていたところに、助け船がやってきた。
市役所の部長さんだった。「部長さん、。○○番のバス停ってどこでしたっけ?」。一瞬巡迷ったものの、「ポップビルの先と、西友の前と・・・」と。どちらも正解だったようだ。「ありがとうございます」。高校生がお礼をしたので、私も、部長さんにお礼をした。
9月には、臨時国会や第3回定例市議会が行われるので、今朝の宣伝では、後期高齢者医療問題を始め市民生活に関する様々な問題で、暮らしや社会保障を守る立場でがんばりたいと話した。
宣伝を終え、家に戻り、久々に部活がある長女を高校まで送っていった。車を運転しながら、昨日、帰り道、甲府のぶどう園に立ち寄ったことを思いだした。
今から20数年前、私が、20代後半~30代前半の頃、よくバイクツーリングに出かけていたが、長野、山梨方面からの帰り道、お土産のぶどうを買おうと甲府市内のあるぶどう園に寄ったことがあった。そのとき、店番をしていた叔母さんの写真を送ってあげたことがきっかけとなり、シーズンごとにぶどうを買いに行き、交流が始まった。ところが、その後、私が市議会議員になったこともあって、すっかりご無沙汰していたのだったが、今回、山梨方面に行ったこともあり、記憶をたどりながらそのぶどう園を探して、到着した。
果たして、おじさんやおばさんは元気なのだろうか?第一、ブドウ栽培をまだ続けているのだろうか?お店があるのかな?と心配しながらその場に近づいた。
・・・あった!!
「○○ぶどう園」は健在だったのだ。
残念ながら、元気なおばさんは、週に一度の通院で、病院に行っていて不在だったが、ご主人と3人の子育てをしているという娘さんがお店にいた。
20数年前のことなのに、「東京町田市のとのむらと言いますが・・・」と言ったら、2人ともすぐに思いだしてくれたのだ。嬉しかった。「母も喜ぶでしょうから、お子さんを連れて、また遊びに来てください」と。
ほんの10分ほど会話をした後、当時はなかった新品種の『キング・デラウェア』を買って帰ることにした。
帰路につき、バイクのアクセルを回すと、20数年前の想い出が断片的によみがえってきた。
・・・・・・。
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by ken-tono | 2008-08-21 10:25

「友達が杉並に車で行ったけど、大丈夫かな?」   

昨夜は、柔道100㎏超級と78㎏超級決勝、星野JAPANN、なでしこジャパンの試合を続けて、最後まで見てしまったので、寝るのがスッカリ遅くなってしまった。それにしても、バトミントンの「スエ・マエ」ペアの試合はすばらしかったし、あともう一歩とおしかったなぁ。
また、陸上競技では、100㍍の朝原選手、400㍍障害の為末選手の力走がかなうことがなかった。本当に「お疲れさまでした」。
今朝もまた暑く、汗をタップリとかいてしまったが、気持ちよく起きることが出来たので、駅に行くことにした。
中町を走っていたら、元柔道部の男性が女の子のお子さんを連れて散歩をしているのが見えた。
M銀行前にすんなりと止めることができた。
北京オリンピックの話をしながら、昨日の終戦記念日のことを話した。テレビを見ていると、靖国神社に参拝している閣僚や元首相の姿があった。「過去の戦争は正しい戦争だった」という歴史観に立つ靖国神社に参拝することは、その立場を肯定することになる。歴史を戦争の時代に逆戻りさせようという動きを許してはいけないし、憲法を今こそ守り抜かなければと思った。
駅頭では子ども連れのご家族がたくさん通った。私は、みなさんに「気をつけてお出かけ下さい」と伝えたが、ニュースでは、昨日も、悲しい事故が起きている。杉並区の環状7号線で、横転したタンクローーリーの下敷きになって14歳の中学生が死亡した。
妻が、朝、テレビを見ながら、「友達が杉並に車で行ったけど、大丈夫かな?」と長男が心配してたんだよ、と話してくれた。長男の友達ではなかったが、今回も、同年代のお子さんが事故でなくなったという話を聞き、本当にいたたまれない気持ちになった。
戦争には「理由」があり、事故には「原因」がある。しかし、尊い人命が犠牲になることは確かだ。いずれも、私たちがそうさせないように知恵を絞り、努力することで戦争も事故も防ぐことができる。
「人の命が本当に大切にされる社会をつくること」・・・私たちの最も大事だ課題だと思う。
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by ken-tono | 2008-08-16 10:07