<   2011年 03月 ( 20 )   > この月の画像一覧   

「私の仕事の取引先の人が何人か亡くなりました」と。   

29日、3月市議会が終了した。
東日本大震災の揺れの影響で、本会議場の天井の改修が必要となったため、震災後は、第一委員会室での本会議となった。
質疑の時間を縮小しなければならなかったりと制約もあったが、わが日本共産党市議団は、市民のみなさんの要望を届けるために、質問や質疑、討論をしっかりと行い、最後まで奮闘した。
今週も駅頭は続けている。
今朝は早めに家を出た。
しだれ柳が朝陽に照らされ、瑞々しく、意気揚々としている。
昇り始めた太陽が、調整池に反射し、水面が真っ赤に染まっていた。
事務所に立ち寄った。
隣のお店の自動販売機でホットの缶コーヒーを買った。地震の影響で充分生産ができないのでご迷惑をおかけしますと、張り紙がしてあった。おそらく、東北、関東地方にあった清涼飲料水などの生産工場が被害を受けたからだと思う。
途中、本町田のMさん夫妻にあった。
Mさんはすぐに私に気がつき、「おはよう!」と声を掛けてくれた。
車の私が先に駅に着き、掃除を済ませ、挨拶を始めた。
よくお会いするご主人が立ち止まり、「とのむらさんの家は大丈夫でしたか?」と話しかけてきた。
「はい、実家は秋田なんですが、停電ぐらいで済んだみたいです」「そうですか。私の仕事の取引先の人が何人か亡くなりました」と。
やはり、みなさん東北地方に知り合いがいる方が結構いるようだ。
本町田のMさん夫妻が到着し、「がんばってるね」と言いながら駅に入っていった。
赤いスニーカーのお兄さんが来た。今日は、ヤッケが赤だった。
大田勤務の奥さん、K大学附属の高校生くん、3人兄弟のお兄さんがやってきた。
初めてお会いするご主人が立ち止まり、5分ほど会話になった。
「駅でよく頑張っていますね」と、議員活動について色々なご意見をいただいた。
ん?と思うような意見も中にはあったが、市民の方々の意見はどれも大切にしなければならないと思っている。
互いに名刺を交換した。都内で会社を経営している方だった。必ずしも日本共産党に理解がない方でも、私を通じて、理解が深まってくれればいいかなと思った。
駅頭での挨拶を終え、午前中は、市役所で2人の方の生活相談にのった。
桜のつぼみもほころび始め、少しずつ寒さも緩んできた気がする。
確かに、今日で3月は終わりである。
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by ken-tono | 2011-03-31 12:01

6人の卒業生たちは涙、涙で・・・   

昨日は午後から、長女の高校生最後の吹奏楽部・定期演奏会に行ってきた。
地震の影響で公共施設のホールが使えなくなり、順延になっていた。会場は高校になったが、体育館は耐震工事中だったため、大会議室というところになった。
保護者はもとより、在校生、先輩、先生、そして、お世話になっている野球部員が集まり、ライブハウスのような雰囲気になった。
指揮者の先生が八丈島出身ということもあり、第一部では、勇壮な八丈太鼓も披露された。また、大学でサックスを吹いている先輩がソロ演奏を聴かせてくれた。
パンフレットを作る余裕もなく、アンコールに応える曲の練習もできなかったようだが、6,7曲を力一杯演奏してくれた。
6人の卒業生たちは涙、涙で、3年間の高校生活最後のステージを満喫することができたと思う。私も、ちょっと涙、でした。
そして今日。
わが家の前の土手にそびえる剪定されたしだれ柳とは正反対に、私の髪は、この3月議会をはさんですっかり伸び放題になってしまった。
「ん、今日しかない」と意を決した私は、午前中、A理容店に直行した。
この間の雨も上がり、とても気持ちの良い朝である。
私がお店にはいると、すでに先客がいて、ご主人が刈り始めたところだった。
内線で呼び出された奥さんが2階から降りてきた。
「いらっしゃい!」「どうも・・・」
さっそく椅子に座り、私の方は顔剃り、洗髪の順番に始まった。
隣のお客さんが新潟出身の方らしく、テレビの高校野球の佐渡高校の試合が気になる様子だった。
しかし、話題は地震のことに。とくに、水のことに話が移っていった。
「富士山の伏流水、汲みに行ったよ」「そうなんですか?」「バナジュウムが入ってるんだけどね」
「こんにちは!」大きな声で宅急便のお兄さんが入ってきた。
「水だよ、水」
どうやら北海道の兄弟からペットボトルの水が届いたらしい。なんでも、テレビで町田市の水が放射能の基準を超えたというニュース聞いて、さっそく、北海道のスーパーで買った水が届いたのだ。
「やっぱり、孫にはこの水でないとね」
北海道独特のイントネーションがやや残っている言葉で奥さんが言った。
隣のお客さんは終わり、残念ながら佐渡高校は、強豪の智弁和歌山高校に1対8で負けた。
「秋田の大館鳳鳴高校も8:0で負けました」「そうだったね」
「でも、地元で応援していた在校生や市民は、負けてもよく頑張ったと、選手たちをたたえてましたよね」と。
散髪を終え、外に出ると、春の冷たい風が、すっかり短く刈られた襟元にあたった。
お寺の桜はまだつぼみのままである。
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by ken-tono | 2011-03-26 12:35

「今日、2年生を送り出します」   

昨日からいっせい地方選挙がスタートした。
私も、昨日は、朝の小田急線に久々に乗り、新宿まで出かけた。
「間引き運転」で本数は少ないものの、町田~新宿間の所要時間は通常通りだった。
行きの電車の中で、ついこの間八王子のTさんから送られてきた新作本、『ミーコとふみばあさん』を読んだ。
八王子市の南部にある宇津貫の閑道谷戸という自然豊かな地域が「八王子南部ニュータウン開発」の大波に巻き込まれ、コンクリートの町に変わってしまった。
この地域に長年住み続けてきたふみばあさんと白いネコ、ミーコの物語である。
八王子の歴史を子どもたちにも知ってもらおうと優しい言葉で書かれている。八王子市と町田市の図書館に寄贈されたそうなので、機会があったらみなさんもご一読を。
さて、新宿では志位和夫委員長らの話を聞いて元気になった。
それにしても午前中の東京は超寒かった。
秋田出身の私は、冬、駅の待合室のドアを少しでも開けると、寒気がす~っと入ってきて、閉め忘れたりしたら注意されたりしたことを思い出した。
日中、木曽町のHさん宅を訪ねたら、やはり岩手県出身のYさんのことが話題になった。
「そういえば、Yさん盛岡出身じゃなかったっけ?地震、大丈夫だったんですかね?」
「いや~、それが、岩手県の山田町の隣の町らしく、実家のお姉さんと近くの妹さんの家は津波に流されてしまったけど、ようやくこの間、お姉さんがテレビに写っているのを見て、生きてるって分かったそうだよ」
「そうだったんですか」
・・・・・・・・・
Hさん宅を出た私は、仕事が一段落したところでYさんに電話をかけてみた。
ちょうど、市内にいるかつての仕事の仲間がYさんを励まそうと、これから食事に行くところだということだった。
「大変でしたね?」
「連絡が取れなくて、本当に心配で、頭にハゲができてしまいましたよ」
「全員無事で?」
「はい。姉妹も友達も助かりました。心配していただいて、ありがとうございます」
「本当に良かったです」と。
ん~ん、身近なところに被災者の関係者がやはりいたのだ。
さて、町田市は、昨日一日、「水」のことですったもんだになっていた。
町田市のHPで、基準を超える放射能物質が検出された金町浄水所からの町田市への配水は10%で、他の浄水所の水と混合すると問題はないと、赤ちゃんでも飲める水だと周知があった。
それでも市の水道部には1千件近い電話が殺到したそうだ。
このようなときに、市民に正確に敏速に事実を伝えることが大事だと改めて思った。
一応、今日も市役所や支所で、赤ちゃんがいるご家庭にペットボトルをお配りするそうなので、ご利用いただきたいと思う。もちろん、水道水自体も安全基準値内である、と。
昨日の話が長くなってしまった。
そろそろ今日の話に移ります。
妻が起きていて、私が起き、そして、いつも寝坊の長男が早い時間に起きてきた。
どうやら今日が終業式のようである。
明日から短い春休みだ。
地震によって全国が大変な事態になってしまったので、子どもたち2人は、楽しみにしていた秋田のおばあちゃん家に行く計画はなくなってしまった。
私は、やや遅れ気味に家を出た。
そして駅に着いた。
いつもに比べて静かな駅頭である。
それでも通勤・通学の人たちは続々とやってきた。
M先生がやってきて、笑顔で声を掛けてくれた。
校長先生も何人か通り、知っている方には挨拶をした。
半蔵門勤務のお嬢さん、まだまだ寒いと見えて、今日も長めのコートでやってきた。
カラフルな羽織袴の女性が「おはようございます!」と声を掛けてくれた。
「・・・?あっ、おはようございます」。本町田中学校の先生だった。
「今日、2年生を送り出します」「そうですか・・・」
先日、36年の歴史にピリオドを打った本町田中学校に残されていたたった一人の2年生の、今日が終業式なのだ。そして、この生徒は4月から新たな中学校に登校となる。
「おめでとうございます」とも言えず、「お疲れさまでした」とも言えず、「そうですか・・・」と言う言葉が口から出てしまった。
先生も、本当は残念で、たった一人の生徒を手放すのは悲しいと思う。でも、今日の先生の顔は笑顔だった。
新しい門出に向かう生徒の背中をクッと押してあげてほしい、と思った。
しばらくして、長女が駆け足でやってきた。
今日が卒業の最後のコンサートである。
「がんばれよ!」
心の中でそうつぶやきながら見送った。
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by ken-tono | 2011-03-25 09:22

がんばろう!被災者のみなさん。がんばろう!小池あきらさん。   

雨は上がった。
外に出ると、しだれ柳の数珠玉のような新芽がキラキラと輝いている。
朝起きて、私がホッとする瞬間である。
やはり外気は冷たく寒い。
「被災地に比べれば・・・」。東北出身の私が言うのもおかしいけれど、3月も中旬とは思えない寒さである。
駅に着き、やや汚れた駅前を掃除してから挨拶を始めた。
私は今日も、わが党が毎朝作成している「本日の計画停電お知らせ」ビラをまきながら駅に入るみなさんに声を掛けた。
普段ビラを受けとってくれない方でも「計画停電」の4文字に目がいって、サッと手をさしのべてくれる人たちが結構いた。
ひさしぶりにキックボードのおじさんがやってきた。
もう仕事は退職したおじさんは、いつもと変わらないポニーテールのヘアスタイルで駅の売店で買い物を済ませ、「じゃぁ」と一声かけて家に戻っていった。
懐かしい人に会うことができて嬉しかった。
私学の小中高に通う3人兄弟のお兄さんがやってきた。笑顔の彼に会うのはやはり久しぶりだった。
大田勤務の奥さんも元気そうだった。
今日もまた、市役所の職員の皆さんは早目の出勤である。
昨日から私はハンドマイクを再開したが、そうはいっても、明日から都知事選が告示されるため、拡声器による音出しも今日までである。
私は、力まないように音量に注意しながら、震災問題と都知事選の小池あきらさんの政策を中心に話をした。
途中から自転車整理のおじさんたちがやってきた。
「おはようございます」「あっ、お疲れさまです」。お互いの挨拶を交わした後、私は、「地震の影響で困っていることを聞いてませんか?」と聞いてみた。
「ある、ある!」
「マンションは電気で水道を上げているから停電したらトイレも使えなくて大変だよ。エレベーターも途中で止まったら困るしね」と。
私は、震災対策についての町田市の取り組みの現状を話した。
町田市は、大内沢青少年センターと川上村の青少年施設を避難者の方々に提供する用意があることや公共住宅の提供も行われることと話し、「知り合いの方から相談があったら、まずは町田市役所に電話をかけてください」と訴えた。
宣伝を終え、毎朝駅前で透析患者の方々をマイクロバスで病院まで送ってくれているA病院のお兄さんに声を掛けた。
窓ガラスを開けてくれたので、「計画停電の影響は病院の方はどうですか?」と聞いてみた。
昨日までは、予備の電力を使いながら、通常通りの透析治療を行ってきた、と。今日からは、計画停電の区域にならないということで、一安心だと。また、被災地から当初、5人ほど透析患者を受け入れてほしいと東京都を通じて要請があったらしいが、それはなくなったようだという話も聞くことができた。
いろんな方々の話を聞きながら、被災者の方々や市民のみなさんの声に応えることができるよう頑張らなければと思った。
朝のテレビにイタリアから帰国したサッカーの長友選手が出ていた。「私は、試合をするためだけに来たのではない。あきらめない姿勢を見せ、多くの人に勇気と希望を感じてもらいたいからだ」としっかりとした口調で語っていた。
日本代表チームと日本選抜チームのサッカーの親善試合が29日に行われる。
「選抜チーム」には、カズや元代表の中澤選手、そして、鹿島アントラーズの小笠原選手などが選ばれた。
小笠原選手は、被災地の岩手県出身で、すでに現地の避難所を訪問し、激励している姿をテレビでも見た。
プロ野球選手もセリーグの開始日の延期を申し出るなど、募金活動以外にも積極的な行動に感銘を受ける。
力を合わせてがんばっていきたい。そう思った。
いよいよ都知事選である。
震災の救援活動に取り組みながら、都民の命と暮らしを守り、災害に強い福祉都市東京の実現に、小池あきらさんに新しい都知事になってもらうために全力でがんばりたい。
がんばろう!被災者のみなさん。がんばろう!小池あきらさん。
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by ken-tono | 2011-03-23 09:30

一番上にはハンカチでくるんだお弁当が乗っていた。   

昨日に続いて雨になった。
玄関を出て、しだれ柳に目をやった。
冷たい雨に打たれていかにも寒そうである。
吐く息は白い。
あとで新聞を見たが、最低気温が7度。ウソだろう!と思うほど朝方は冷え込んでいた。
ちなみに盛岡はー2度。ん~ん、大変だなぁとため息をつきながら駅に向かった。
スタンバイして挨拶を始めた。
いつも何か語ってくれるヒゲのお兄さん、今日の「計画停電」のチラシを渡すと、そこに目がいって言葉はなかった。
先日おじゃまをした本町田中学校の校長先生が通ったので挨拶をした。
半蔵門勤務のお嬢さんが通った。
I先生はこの3連休、仕事の「宿題」がいっぱいあったのだろうか?両手にたっぷりと入った手提げ鞄を提げてきた。その一番上にはハンカチでくるんだお弁当が乗っていた。小学校の給食がお休みになったのかも知れない。
サッカーチーム、ゼルビアの役員の方が通り、声を掛けてくれた。
「この間の反対討論の時、最初にサッカーやスポーツの発展を願っていると言っていただき、救われた気持ちがしました」と。
先日の建設常任委員会で、私は、一般会計予算の反対討論をしたが、正直、ゼルビアを応援する市民の方々がたくさん見守る中での討論はやりにくかった。私は、新庁舎と連動した大型開発計画推進の予算をはじめ、2年間で野津田陸上競技場に25億円を費やす計画と予算についても財政計画が明確に示されていないことと、市民生活が深刻な中で市民の命暮らしを守るために優先的な予算にする必要があるという理由で反対した。その際、サッカーの振興はファンの一人として心から願っていると述べた。
ゼルビアの役員の方が立ち止まって声を掛けていただき、私は、「ありがとうございます」と話した。
ちなみに、ゼルビアと支援者の方々は、この連休、ポッポまちだの広場で募金活動をして、100万円ほど集めることができたということだったが、地震の救援活動という点では連帯して取り組んでいけると思った。
今日の朝の駅頭からハンドマイクを使うことにした。できるだけ音量を絞りながら、救援活動の連帯、明後日から始まる都知事選挙と出馬予定の小池晃さんの政策、また、市民の方々が地震の影響で困っている事を申し出てほしいと訴えた。
・・・と、初めてお会いしたおばあさんが、近寄ってきて話しかけてきた。
「私が行く花屋さんのバイトの奥さんが、福島から親戚を受け入れたら8人も来ていて、今、大変だ。公共住宅とか何とかならないのでしょうか?」と。
私は、「その要望を町田市に伝えて、少しでも応えることができるようにがんばります」と私の名刺を渡し、返事をした。
雨はまだ止まず、ますます冷え込んできた。
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by ken-tono | 2011-03-22 09:38

今日から「半蔵門勤務のお嬢さん」に・・・   

昨日の日曜日。
朝、高校生活最後の演奏会を控え、練習に向かう長女を駅まで送ってあげた。
当初19日の予定だった吹奏楽部今年度最後の演奏会は25日に延期になった。
ある市の公共施設のホールを借りる予定だったが、変更して会場は高校の大会議室になった、と。
「小さな会場でお客さんは少ないかも知れないけどいいじゃない!ガンバッテネ!」「うん」と。
妻とともに長女を送り、ちょっとお茶して戻ろうかと思ったら、ガソリンスタンドにはもう長蛇の列が。
・・と、他のガソリンスタンドにはあまり並んでいなかったので、私も入れることにした。
昼は久しぶりに即席ラーメンを食べた。
郷里の秋田で高校3年生の時、夜、オールナイトニッポンのラジオを聞きながら受験勉強に励んでいたとき、母が夜食に作ってくれたのが、卵入り即席ラーメンだった。
とにかく美味しかった!
あの時の思い出の味とは違うけれど、久しぶりの卵入り即席ラーメンはやはり美味しかった。
午後から駅頭に向かった。
引きつづき東北・関東大震災の救援募金活動をするためだった。
駅に着いたら、他の団体の方々も募金活動に取り組んでいた。
たくさんいる場所を離れ、いつも私が宣伝する場所の方に移動した。
途中、「あの・・・」と私に声を掛けてくれるご婦人がいた。
封筒にたくさんの小銭を詰めて、「これ、被災者のみなさんに届けていただけますか?」と。
原町田のKさんだということが分かった。
「ありがとうございます」とその募金を受けとった。中には、一定の金額と共に、2枚の便せんが入れられていて、被災者のみなさんへの手紙が書かれていた。その手紙も一緒に送ってあげたいと思う。
Oさんご夫婦、Uさん、Kさん、Iさん、私とで募金活動を始めた。
朝会う方がやはり通った。
元高校の先生で今は塾の先生をしているご主人が足を止めた。
「私も若い頃3年間、宮城県の石巻市で高校の教員をしてたんですよ。魚が美味しいところでね。あの商店街はみんな津波でなくなちゃったんだよね。いや~っ、悔しいなぁ~」と。
どこへ行ったらいいのか方向が定まらずウロウロしているご主人がいた。
「どうしました?」と私が声を掛けると、どうやら娘さんと町田駅前で待ち合わせることにしている、と。
「町田駅も広いのでどこで待っていたらいいのかと思って・・・」と。
私は、「このデッキの上なら下の道路も見渡せるし、こちらで待っていてはどうでしょうか?」と話した。
そうしたら5分も経たないうちに娘さんが現れたのだ。
もしかしてと思って来たらお父さんと会えたというわけである。
「いや~っ、おかげさまで、ありがとうございました」と、お礼もこめてと募金をいただくになった。こんな時は、実に気持ちが良いものだ。
駅の方からやってきた女性に「ん?」と一瞬思ったら、やっぱり、霞ヶ関勤務のお嬢さんだった。
「こんにちは!」「あらっ・・・」「今日は?」「ちょっと遊びに。募金しますね」と、私がお願いする前に募金をしていただくことができた。
「今も霞ヶ関に?」「いえ、今は半蔵門に変わったんです」と。
朝の忙しい時間帯だったので充分話もできず、職場が変わっていたことも知らなかった。
入院しているお母さんも大部良くなってきた、と。
彼女の職場は、新橋から霞ヶ関に変わり、そして今は半蔵門まで行っている、と。
今日から「半蔵門勤務のお嬢さん」に名称変更である。
町田駅の人間ドラマは、日替わりである。
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by ken-tono | 2011-03-21 14:35

“僕たちのメッセージ”   

早く起きて駅に行った。
駅で挨拶を初めて間もなくして、ヒゲのお兄さんがやってきた。「秋田の方は大丈夫でしたか?」「ええ、停電だけで、あとは何とかなったみたいです」「そてにしても、被災地は、雪まで降って、ここまで大変なのかって思いますね!」「本当に!」と。
Sさん、Iさんが来てくれたので、3人で「救援募金」を訴えた。
みなさん、急ぎ足だったので、朝のこの時間帯、足を止めてゆっくりとという人はほとんどいないと思う。
それでも何人かの方が、募金を入れてくれた。本当にありがとうございました。
被災者のみなさんの救援募金は日本共産党としてしばらく続けていく。朝の町田駅でも引きつづきお願いしていきたいと思う。
霞ヶ関勤務のお嬢さんも通ったが、気がついたのが遅く、募金をお願いできなかった。
A印刷に勤務しているNさんが、「ご苦労さんです」と言って、募金をしてくれた。
朝のごあいさつ、募金活動を終え、私は、今日行われた本町田中学校の「閉校式」と「卒業式」に向かった。
木曽、本町田、山崎地域の小学校が児童の減少を理由に次々と統廃合され、それに「学校選択制」が追い打ちをかけ、学校給食が遅れてスタートした本町田中学校は敬遠されるというハンデイを背負わされる中、とうとう、この3月31日で閉校になることが議決された(日本共産党は存続を要求し、反対した)。
そして、本町田中学校は今日、36年間の歴史に幕を下ろした。
実は、この閉校式、3月12日に行う予定だったが、3月11日の地震の影響で電車や電気が通常通りに作動せず、順延になっていた。
今日の閉校式と卒業式は、参加者の人数は少なかったが、とっても心温まる式となったと思う。
卒業生は28名の1クラスと9名のもう1クラスで37名である。
そして、閉校によって、今日で本町田中学校を去ることになったのが、この3年生の36名に加えて、2年生の1名である。
生徒が本町田中学校をふり返り、「本町田中学校がなくなってしまうことは、とても残念でなりません!」と泣きながら語った。父母と教職員の会の会長さんも涙が止まらなかった。
先生も父母のみなさんも、そして来賓の私たちも、みんな泣いた。
参加者全員が今日の閉校は残念でざんねんでたまらない気持ちだったと思う。
そして、私が感動したのは、「僕たちのメッセージ」という閉校式の歌である。
37名の在校生全員が参加し、この1年をかけて作詞したのだ。
作曲は、昨年度まで本町田中学校の音楽の教諭だった谷山先生である。
この素晴らしい歌をみなさんに紹介したいと思う。

閉校式の歌
“僕たちのメッセージ”

作詞 2010年度在校生
作曲 谷山 優司


やさしく微笑む
 桜の花 サルビアの花

36年の年月
静かに見つめてくれた この学舎
胸に手を当てれば
 みんなの声が
 笑顔が 戻ってくる
この広い世界で
 みんなに出会えた この奇跡

どんなに辛いことも
 みんなで乗り越えた
悲しい思い出は 明日の光
嬉しい思い出は 未来の宝
わたしたちは歩き出す
未来に向かって

ありがとう 本町田中学校

いや、素晴らしい歌と曲、すばらしい生徒たち、教職員、地域のみなさん
小さくても眩しいほどに光り輝く本町田中学校の素晴らしさを心の底から実感した。
体育館の広報の壁には「ありがとう!」と大きな横幕が。
そして、37名の生徒たちが「ありがとう!!」と何度となくボロボロの涙を流して叫んだ。
式が終わり、会場の体育館を出た。
土手の木蓮の木は、この寒さの中で、真っ白な堅いつぼみを今にも開こうとしていた。
ありがとう! 本町田中学校!
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by ken-tono | 2011-03-18 14:19

「みんなでがんばろうな!!」   

駅に行くことにした。
ジャンバーのポケットに入っていた薄手の手袋が邪魔だと思い、家に置いてきた。
外に出たらトンでもなく寒かった。
取りに帰ろうか迷ったけれど、まあいいか、と駅に向かった。
やっぱり半端じゃなく寒かった。
地震が起きてこの間、比較的暖かかったが、今朝ばかりは違った。
新聞を見たら0度(ウワッ!)。
今日の「計画停電」の情報を掲載した、わが党の号外を配ったら、いつも受けとってくれない人まで手をさしのべてくれた。
本町田のMさんやトコトコちゃん姉妹はおやすみのようで、現れなかった。
「みんなでがんばろうな!!」
「はいっ!」
「久しぶりだね」と言った後にこう話してくれたご主人の一言に元気が出た。
ん、私が市民のみなさんを激励しないといけないと思った。
・・・と、このご主人、駅の構内から戻ってきて、「これ飲んで元気出してがんばって!」と、○○ナミンのドリンクを差し入れてくれた。
「ありがとうございます」とお礼を述べ挨拶を続けた。
大田勤務の奥さんも通った。大田区だから、地震の時は、帰宅難民になってしまったのではないだろうか。
市役所の職員の方々はいつもより30分以上早く出勤していた。
宣伝を終え、近くのコンビニに寄ってみた。
おにぎりはあったけどいつもより少なかった。
そして、パンは、ほとんどがコッペパンだった。
マーガリン、ジャム、ホワイトクリーム、ピーナッツクリームなど、ようするに、コッペパンが一番簡単にできるのかなと思った。
寒い朝だったので、久しぶりに開店したおそば屋さんも混んでいた。
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by ken-tono | 2011-03-17 19:01

「こんな時に新しい市役所でもないだろう!」と   

昨夜は、早目に寝ようと思い、寝始めた途端に静岡で地震が起きた。
「早く押さえて!」。長男の号令で家族全員が本棚や食器棚、テレビを支え難なきを得た。
朝、目が覚め、外を見ると、しだれ柳の数珠玉がキラキラと輝いていた。
車で妻に送ってもらい、駅周辺を見て回った。
小田急線の出入り口では通常通りの往来があった。駅の改札に行ってみると、張り紙に、本数を減らして運行している状況が具体的に書かれてあった。
西口に回ろうと駅の構内を移動していたら、同じ団地に住む小柄な奥さんが私の腕をたたいて、「おはよう!」と挨拶をしてくれた。
バスセンターのエスカレーターは運休になっていたが、エレベーターは動いていた。
羽田行きのリムジンバスは運行していたが、成田行きは運休に。
Mデパート前を通り、JRに向かった。
JR町田駅の前では今日も青年会議所の人たちが義援金集めの活動を行っていた。若林市議も会員の一人として出ていたので声を掛けた。
JR町田駅の改札は空いていたが、運行は50%程度ということだった。それでなくても超満員のJRの朝の時間帯は大変だなと思った。
街中に出た。
知っている自転車整理の職員の人たちに声を掛けてみた。
昨日はJRが運休していたため、JR町田駅南口には自転車でやってくる人が増え、Yカメラの前にみんな置いていったよ、と。
ちょうど、話しているとき、自転車で保育園に向かう母子と会ったが、私に気がつかなかった。
また、もう一人の職員の方は、「こんな時に新しい市役所でもないだろう!今のところを補強して、他のことにお金を使った方がいいんじゃないか」と怒っていた。
地震の影響で公共交通が麻痺するといろんなことに波及する。
車が増えるかと思ったら、ガソリンがなくなり、昨日とは打って変わり、町田街道などはスイスイ状態である。
その代わりに、いつになったら開くか分からないガソリンスタンドには長蛇の列である。
みなさん、気をつけてお出かけ下さい。
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by ken-tono | 2011-03-16 09:30

「卒業式の日に一緒に・・・」と。   

3月市議会が昨日再開した。
第一委員会室を本会議場に換えて、残りの質疑が行われた。計画停電が3時過ぎから行われる地域があるということもあり、限られた時間内での質問に協力しようということになった。
前後して、代表者会議、災害対策員会が行われ、市長、防災担当者から、町田市における地震後の被災や「帰宅難民」の避難状況が報告された。町田市内のコストコという大型店で一人が亡くなったが、昨日の報道では同乗し一旦救出されたご主人も亡くなられた、と。なんということだろう。ご冥福をお祈りしたい。また、市民のみなさんからの問い合わせで最も多かったのが「計画停電」についてである。
私たち日本共産党は、毎朝のしんぶん赤旗に、東電の前日の市内各地域ごとの「計画停電」情報を載せ、折り込みを続けているが、その情報がその日になると変わってしまうため、大変な状況だ。
仕事を終え、夜家に帰ったら、長男がちゃんと懐中電灯を2本用意していた。
そして今朝。
一足先に私が出た。妻も、早出組らしく、急いでいる様子だった。
駅に行ってみた。
バスは動いている。
小田急線も動いているようだった。
改札口に行ってみると、小田急町田駅の駅員の人たちが、乗り継ぐ他の電車の情報を伝えていた。警察官やテレビ局もいた。
私は、その足でJR町田駅に行ってみた。シャッターが降りていて、「終日運休」の張り紙がしてあった。町田バスセンター、ターミナルのバス路線の案内表が貼られていて、見ている人がいたが、「ん~ん」とあきらめた様子だった。
小田急の駅前に戻り、いつもの宣伝場所で挨拶をすることにした。
私の隣では青年会議所の人たちがノボリを立てて「義援金」のお願いをしていた。その中に戸塚市議も募金箱を持ってがんばっていたので、「お疲れさま」と声をかけ、わずかだけど募金をした。
私は、ちょっと離れたところに立ち、「おはようございます」「お疲れさまです」と声を掛け、今日の「計画停電」のチラシを配った。
サッカーの町田ゼルビアの役員の方が立ち止まり、挨拶をして行かれた。
室谷さんが1時間以上前にやってきた。
野津田のOさんもいつもより30分以上早くやってきた。
本町田中学の先生が通ったので挨拶をした。先日の「閉校式」が地震の翌日だったので中止となったが、「この間は大変でしたね。また別の日にやるんですか?」と聞いてみると、「卒業式の日に一緒に・・・」と。
私は、その日、建設常任委員会があるため出席できないが、「よろしくお伝え下さい」と話した。
いつもはJRを利用している鵜野森のUさん、今日は小田急町田駅に向かっていった。
駅周辺のバス停には長蛇の列がいくつもできていた。JRが運休なため、それに変わるバス路線を求めているのだと思う。
羽田、成田空港行きのリムジンバスも地震の影響で予約のキャンセルで乗客がまばらなために、逆に、通勤などに利用してもらっているらしいが、「とにかく、渋滞で時間がかかって・・・」とバス停の担当者の方もご苦労されていた。
宣伝を終え、市役所に向かう途中、「109」の前あたりで原町田のOさんと会った。
横断歩道が青になり、駆けてきたOさんが車に近寄り、「“計画停電”のこともっと分かるようにしてもらいたいんだけど」と。私は、「分かりました」と返事をした。
市役所に行き、防災課に行ってみた。
部課長さんはもとより、職員の皆さんが電話やカウンターでの対応に追われていた。
「東電からの情報を町田市のHPで更新しお伝えしている」と。各支所にも配信しているが、新しい情報を的確に早く伝えるのに苦労しているいうことだったが、さらに多くの市民のみなさんに正しい情報が早く届けられるよう要望してきた。
ちなみに、わが家がある本町田地域は、「一部」とあり、地図でよく確かめてみると、第5グループであることが分かった。
わが家の場合、今日の「計画停電」jは、12時20分~16時である。
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by ken-tono | 2011-03-15 10:46